クリヨウジ(久里洋二)の仕事

Cartoon

クリヨウジの原点である一コマ漫画の活動は、1950年に共同通信社の画信部に嘱託として務めることから始まりました。
その頃に、恩師・横山泰三の薦めでデッサンを学ぶため文化学院に入学し、学業と職業を両立しながらの生活を送りました。
また、この頃からすでに漫画と美術が交錯する展覧会を自ら開催するなど、その後につながる活動を始めています。
1958年に久里実験漫画工房を設立し、友人の福沢七朗の親族が経営する印刷所で『久里洋二漫画集」』を自費出版します。これにより「第4回文藝春秋漫画賞」を受賞し、全国的に知られる作家となりました。
その後も、所属していた漫画集団の仲間である、長新太、井上洋介、真鍋博らに声をかけ漫画展を開催したり、精力的に自費出版の漫画集を発行するなどの活動を行いますが、1960年に入り、やがて活動の主流はアニメーションへと移っていきます。
時を経て、2016年に500ページの漫画集『クレージーマンガ』を描き下ろし、原点回帰となりました。

Animation

クリヨウジのはじめてのアニメーションの仕事は、1960年に制作された『ミツワ石鹸』のCFです。
その後ノーマン・マクラレンの作品に刺激を受けながら、真鍋博、柳原良平と「アニメーション三人の会」を結成し、「草月アートセンター」で実験的なアニメーションを発表します。クリヨウジの代表作『人間動物園』は、アヌシー国際アニメーション映画祭をはじめ世界中の映画祭で受賞し、その名は世界的に認められました。それにより、各国での展覧会開催や、映画祭で審査員を務めるなど国際的な活動へ飛躍しました。やがて「アニメーション三人の会」は、コンペティションや国内外の作品を紹介するなど、日本初のアニメーション映画祭へと発展していきます。
また、テレビ創世記から「みんなのうた」「ひょっこりひょうたん島OP映像」の制作や、深夜番組「11PM」で初めて芸術性の高いアニメーションをお茶の間に放映し、全国的に知られる存在として人気を博しました。
これまでに作られた500本以上の作品は、日本の短編アニメーションの歴史を作った重要な作品として、現在アーカイブが進められています。

Art film

当時、様々な分野の芸術家の発表の場として「草月アートセンター」がありました。クリヨウジもそこでの交流の中から、特に秋山邦晴、武満徹、林光、一柳慧など様々な音楽家とのコラボレーションで多くの作品を制作しています。
「実験」の時代において、映像表現は最先端の表現形式であり、クリヨウジは早くからアニメーションにはじまる実験的な作品を発表していました。
その作品群の中には、現代のメディアアートの先駆けと言えるものが多くあります。
また、1960年代から起こった芸術運動に対して、いち早くその時代を残す衝動に駆られたクリヨウジは、16mmカメラで自ら撮影を敢行したドキュメンタリーシリーズ『芸術と生活と意見』を制作し、久里実験漫画工房主宰の上映会で発表しました。このシリーズは、荒川修作、合田佐和子、篠原有司男、関根伸夫、横尾忠則らがラインナップされており、現在では、当時の若き芸術家の考えを肉声により知ることが出来る、非常に貴重な作品となっています。

Art

元来、絵描きを志していたクリヨウジは、その創作活動の初期から展覧会を開催したり、早くからポップアートのような漫画作品を発表するなど、常に美術的なアプローチを活動に取り入れていました。
アニメーション表現からは、さらに前衛的・実験的な領域に踏み込んでいきましたが、1980年代に至る頃には、絵画を主軸とした美術の世界で、さらに新しい表現に挑戦しています。
絵画の経歴は長く晩年まで続くもので、それらの作品からは、最もクリヨウジの多彩な才能を視ることが出来ます。
漫画アートに始まり、空想絵画、空想昆虫などの立体作品、1000人の肖像画や独特の人物画、リサイクルアートなど問題提起する作品や、故郷への憧憬を描いたナイーブアートなど、数多くの作品が制作されています。
しかし、今までにそれら全てを網羅するような残され方はされておらず、今後研究が進むことにより、アーカイブサイトなどを通して全貌に迫る取り組みが始まっています。

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